2024年04月14日

大阪市立東洋陶磁美術館がリニューアルオープンした!

大阪市立東洋陶磁美術館が2年2か月ほどの休館を経て、
一昨日、4月12日(金)にリニューアルオープンした。
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ぼくが日建設計に在職中に関わった建築の中で最も思い出深いもので、今回のリニューアルは同じ日建設計の後輩〜かつての同僚が担当した!
すばらしい出来栄えで、新たな命を吹き込まれたと思う!
これからも長く生き続けるに違いないことがうれしい!!
そこでこの機会に、この美術館の歴史を振り返ってみたい。

美術館設立の発端は、かつての「10大商社」の一つ「安宅産業」がオイルショック期に破綻、世界的な陶磁コレクションとして有名だった「安宅コレクション」の散逸が危惧されたが、大阪市の要請を受けた住友銀行の決断により、コレクションと美術館設立資金のすべてが、住友21社より大阪市に寄贈された。
美術館設計者の指名設計競技が行われ、3社の中から日建設計案が選ばれた。
選ばれた理由は後ほど・・・
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設計者に選ばれて改めて敷地を訪れて丁寧に調べたところ、全体がクスノキなどの樹木に覆われただけの森だと思っていたのが、
分け入ってみるとその中にそれほど広くない広場があり、片隅に忘れ去られたように「関市長像」が立っていた。
御堂筋をつくった市長さん!ということは知っていたので、美術館の前庭として「関市長像のある広場」をつくることにした。
その広場から階段を数段ずつ上った先の、中央公会堂の軸線上に美術館の入口をつくることにした。
1階の床は大阪市内の防潮堤より10cm高くして、防潮対策に万全を期した!
その前に設計に関わった中之島の建築、淀屋橋を挟んで建つ日本銀行大阪支店&大阪市庁舎からの「申送り事項」であった。
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1982年開館直後の写真で、
↑_左端に「関市長像」が!・・・少し欠けていて残念!!

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これは1999年に東側に増築した時の写真で、美術館との関わりはこれが最後となった。
そして一昨日!
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開館直前に「弁護士会館」から見た全景
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A:風除室、B:エントランスホール、C:カフェ
増築部分を観察〜想定して Bing map に記入してみた!
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堂島川より・・・中央の高いのが B:エントランスホール
右の低く抑えているのが C:カフェ_中之島で最高の立地!
周囲に溶け込んですばらしい!!
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階段を上がり、風除室を経て左のエントランスホールへ、
緩やかな螺旋階段を上ると自然に館内へ導かれる。
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風除室の壁の館銘板は、住友銀行の伊部恭之助会長の揮毫で、磯田一郎頭取が「伊部さんに!」とおっしゃったから!とのこと。
各文字数枚づついただいた中から選びだした上で微妙に拡大縮小の上配置、「大阪市立」はサブタイトルなので小さくした。

設計競技の条件の中に「陶磁器を自然採光で鑑賞させる」というのがあった。
そこで「展示ケースの上部にトップライトを設ける」提案をしたところ、それが決め手となって設計者に選ばれた。
いざ設計に取り掛かると、全面的な採用には膨大なコストがかかる!ということで、「青磁」の部屋に限ることになった。

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この写真のトップライトの下が自然採光の入る展示ケース。
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「青磁」は、自然光と人工光で見え方が激変する!
そのことを、住友銀行の屋上と室内で見比べさせられたことは生涯忘れられない。
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2階の「10」の部屋が「自然採光展示室」
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この図で分かるように、正面と両側面で上部の「光ダクト」の形状が異なるため明るさが揃わず、竣工間際になって慌てた!
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1982年10月ごろだから、39歳だ!今80歳!!
展示ケースの中に入って「光ダクト」の調整に苦闘中のところ・・・
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これは敷地最西端=最先端からの写真。
「関市長像」が収まるに相応しい場所を得られた気がする。
最後に残った一本のクスノキと共に!
因みに関一(せきはじめ)市長は、地下鉄御堂筋線や大阪市バスの開業、大阪城天守閣の再建などなど・・・まさしく「大阪の父」!
それから、本美術館設立に奔走された大島靖市長のことも忘れられない!
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posted by yoko at 16:39| Comment(1) | TrackBack(0) | 建築