大学〜職場の2年先輩で一歳年上の先輩_Tさんから「転居のお知らせ」が届きました。
「『終の棲家』と思って建てた家も25年経ってあちこち傷み大規模修繕も考えたのですが『終活・断捨離』してマンションに移り住むことにしました。」とのこと!
お住まいが首都圏なので条件が違うでしょうが、でも25年ですか・・・ぼくの方は今年44年目になります。
因みにぼくは、昭和18年生まれ、「終の棲家」を建てたのは34歳の時ですが、今もその棲家が気に入っています。
□

これは、建築雑誌「新建築」誌1979年2月号「住宅特集」に掲載された時のものです。
当時はまだ月刊誌の「新建築住宅特集」はなく、「新建築」が2月号と8月号の年に2回「住宅特集」を組んでいた時代でハードルも高かった!なので掲載は、ぼくの建築家人生のヒットの一つでした!
特に左の写真が素晴らしい・・・トップライトからの光の入れ方の絶妙さには驚かされました。
掲載に際して「擁壁沿いの家」と名付けたこの家は今も健在です!!
入居したのは1977年の大晦日でしたが、コンクリートが十分乾燥しておらず、翌日の元旦妻が肺炎を発症してしまったのでした!
「『終の棲家』と思って建てた家も25年経ってあちこち傷み大規模修繕も考えたのですが『終活・断捨離』してマンションに移り住むことにしました。」とのこと!
お住まいが首都圏なので条件が違うでしょうが、でも25年ですか・・・ぼくの方は今年44年目になります。
因みにぼくは、昭和18年生まれ、「終の棲家」を建てたのは34歳の時ですが、今もその棲家が気に入っています。
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これは、建築雑誌「新建築」誌1979年2月号「住宅特集」に掲載された時のものです。
当時はまだ月刊誌の「新建築住宅特集」はなく、「新建築」が2月号と8月号の年に2回「住宅特集」を組んでいた時代でハードルも高かった!なので掲載は、ぼくの建築家人生のヒットの一つでした!
特に左の写真が素晴らしい・・・トップライトからの光の入れ方の絶妙さには驚かされました。
掲載に際して「擁壁沿いの家」と名付けたこの家は今も健在です!!
入居したのは1977年の大晦日でしたが、コンクリートが十分乾燥しておらず、翌日の元旦妻が肺炎を発症してしまったのでした!
↓「擁壁沿いの家」
architecture-ykh1_temp.html (yokogawa-r.com)
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これは1993年1月早々、関西文化学術研究都市の「けいはんなプラザ」の竣工直前に航空写真を撮影するため、朝日新聞社の屋上から飛び立ったヘリコプターに寄り道してもらって撮影したものです。
□

これは北東方向からの近況
□

これは1999年6月_22年前のもので、擁壁の北側一帯は当時まだ農地のままだった!
下の航空写真の斜線の範囲です。

ある時期を境に住居が増え続けて今日に至ります。
□

これは2005年3月_16年前のもので、庭にケヤキの大木が見えます!!
□

その庭のケヤキのビフォーアフター
敷地が盛土で地下水位が深いため大きく育ったのでしょう!
□

前面道路側
植えた時はヒョロヒョロだったケヤキは、20数年にしてこの街一番の大木に育ったのだったのですが、秋の落葉の時期になると、東西数十軒のお家の前に散らばり、それを集める毎日が続く・・・それに耐えきれず移植を検討したのですが、大き過ぎて道路通行の許可が得られず、伐採を決意しました( ノД`)シクシク…
なお、
車庫の上部のコンクリート壁は「グリーンウォ―ル」を意図したものですが、壁の向こう側の土に植えたツタがうまく生育せず・・・不本意にもこのような醜態をさらし続けています。
□

2008年3月6日、ケヤキを伐採する日の朝の美しい雄姿!
□

2008年4月22日、吉野の銘木屋さんに預かってもらい、
数年間の乾燥の後加工、今は書斎でデスクとして使っています。
厚さ3cm、3枚継でW×L=100cm×160cm
□

これは昨日撮影したものです。
我が家は、バス通りの交差点から緩やかに下って90mほどの正面にあります。
1970年代の中頃、当時京都の男山団地_京阪樟葉駅よりバス_に住んでいたのですが、奈良の学園前近くに分譲宅地売り出しの情報を知り、楽しかった奈良での中学時代が強い動機となって、価格を前提に「ここだ!」と飛びついた場所です。
忘れもしない受付開始前々日の夕方、現地事務所の小屋に着いたら「ここ」希望はぼくだけだったので記帳して順番待ち!その1時間ほど後に現れた足立さんも「ここ」をご希望でしたが、ぼくを説得するのは困難と悟って西隣を購入されたのでした。
二晩現場小屋で過ごした後、契約にこぎつけた時のうれしかったことが忘れられません!!
当時はまだ「菖蒲池遊園地」のあった時代で、その横を通り丘を越えて・・・徒歩でしか行けない場所で、まさか循環バスが来るようになるとは思いませんでした。
□

間口_15m×奥行_20m程の南北に長い敷地の東側に、間口_4m×奥行_16m、RC造2階建て
東隣との生垣に植えたカロライナジャスミンという蔓性の植物が、40数年を経て車庫の上のコンクリート壁を覆う気配を見せ始めました!
□

現時点の google map の航空写真です。
□

最寄りバス停まで2~3分、バスで近鉄学園前駅まで10~15分、バスは15分間隔で平日のラッシュアワーは増便
最寄駅の近鉄菖蒲池駅まで徒歩15~20分
京都へ行く時は自転車と一緒なので、自転車で近鉄平城駅まで10~15分
自転車でのんびり走って、平城宮跡迄30分、奈良公園まで1時間
徒歩で秋篠寺や大和文華館へ行くことも多い
「ここ」と「この家」を本当に気に入っているので、Tさんの追記に「・・・次は老人ホームか (笑) 」とあり、怖くなりました。
□

北側に飛び出している、いわゆるリビングダイニング空間です。
中央は、マルセル・ブロイヤーの名作ワシリー・チェア
両側の箱はDIATONEの名器DS-503
その両側に折り畳み自転車2台
左端の黒いシルエットは、PanasonicのプラズマTV_2009年製
□
上からの光の帯が時間とともに現れて動きやがて消える。
季節と時間で太さと角度が異なる。
□
ここを『終の棲家』として死守するぞ!と、
改めてそう思わせる「Tさんのお知らせ」でした。
architecture-ykh1_temp.html (yokogawa-r.com)
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これは1993年1月早々、関西文化学術研究都市の「けいはんなプラザ」の竣工直前に航空写真を撮影するため、朝日新聞社の屋上から飛び立ったヘリコプターに寄り道してもらって撮影したものです。
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これは北東方向からの近況
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これは1999年6月_22年前のもので、擁壁の北側一帯は当時まだ農地のままだった!
下の航空写真の斜線の範囲です。
ある時期を境に住居が増え続けて今日に至ります。
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これは2005年3月_16年前のもので、庭にケヤキの大木が見えます!!
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その庭のケヤキのビフォーアフター
敷地が盛土で地下水位が深いため大きく育ったのでしょう!
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前面道路側
植えた時はヒョロヒョロだったケヤキは、20数年にしてこの街一番の大木に育ったのだったのですが、秋の落葉の時期になると、東西数十軒のお家の前に散らばり、それを集める毎日が続く・・・それに耐えきれず移植を検討したのですが、大き過ぎて道路通行の許可が得られず、伐採を決意しました( ノД`)シクシク…
なお、
車庫の上部のコンクリート壁は「グリーンウォ―ル」を意図したものですが、壁の向こう側の土に植えたツタがうまく生育せず・・・不本意にもこのような醜態をさらし続けています。
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2008年3月6日、ケヤキを伐採する日の朝の美しい雄姿!
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2008年4月22日、吉野の銘木屋さんに預かってもらい、
数年間の乾燥の後加工、今は書斎でデスクとして使っています。
厚さ3cm、3枚継でW×L=100cm×160cm
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これは昨日撮影したものです。
我が家は、バス通りの交差点から緩やかに下って90mほどの正面にあります。
1970年代の中頃、当時京都の男山団地_京阪樟葉駅よりバス_に住んでいたのですが、奈良の学園前近くに分譲宅地売り出しの情報を知り、楽しかった奈良での中学時代が強い動機となって、価格を前提に「ここだ!」と飛びついた場所です。
忘れもしない受付開始前々日の夕方、現地事務所の小屋に着いたら「ここ」希望はぼくだけだったので記帳して順番待ち!その1時間ほど後に現れた足立さんも「ここ」をご希望でしたが、ぼくを説得するのは困難と悟って西隣を購入されたのでした。
二晩現場小屋で過ごした後、契約にこぎつけた時のうれしかったことが忘れられません!!
当時はまだ「菖蒲池遊園地」のあった時代で、その横を通り丘を越えて・・・徒歩でしか行けない場所で、まさか循環バスが来るようになるとは思いませんでした。
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間口_15m×奥行_20m程の南北に長い敷地の東側に、間口_4m×奥行_16m、RC造2階建て
東隣との生垣に植えたカロライナジャスミンという蔓性の植物が、40数年を経て車庫の上のコンクリート壁を覆う気配を見せ始めました!
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現時点の google map の航空写真です。
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最寄りバス停まで2~3分、バスで近鉄学園前駅まで10~15分、バスは15分間隔で平日のラッシュアワーは増便
最寄駅の近鉄菖蒲池駅まで徒歩15~20分
京都へ行く時は自転車と一緒なので、自転車で近鉄平城駅まで10~15分
自転車でのんびり走って、平城宮跡迄30分、奈良公園まで1時間
徒歩で秋篠寺や大和文華館へ行くことも多い
「ここ」と「この家」を本当に気に入っているので、Tさんの追記に「・・・次は老人ホームか (笑) 」とあり、怖くなりました。
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北側に飛び出している、いわゆるリビングダイニング空間です。
中央は、マルセル・ブロイヤーの名作ワシリー・チェア
両側の箱はDIATONEの名器DS-503
その両側に折り畳み自転車2台
左端の黒いシルエットは、PanasonicのプラズマTV_2009年製
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上からの光の帯が時間とともに現れて動きやがて消える。
季節と時間で太さと角度が異なる。
□
ここを『終の棲家』として死守するぞ!と、
改めてそう思わせる「Tさんのお知らせ」でした。
↓ 詳しくは HP を
懐かしいですな。 宇治のお宅にお邪魔して、ズイキの炊いたものを頂いた事が忘れられません。
では、また。